フリーランスの「50歳限界説」に挑む その1
なぜ50歳を超えると仕事が減少するのか?
以前、『フリーランスの「50歳限界説」について考える』というコラムをアップしました。
フリーランス、つまり個人事業主あるいは1人で事業をやっている方からも、50歳前後を境に「売上が減ってきた」、「新しいことを始める余裕も気力もなく、不安ばかりが先立つ」といったご相談を受けることがあります。
その理由としては、仕事発注先の担当者の若返り、テクノロジーの急速な発達によるビジネスモデルの破壊といった外部要因に加えて、やはり厳しいことを申し上げるようですが、自身にもあるのではないかと考えています。
「取引先、顧客の数がそもそも少ない」「スキルアップの努力を怠っている」、そして1人でやっているゆえに「目の前の仕事に追われてしまう」「売上が下がっても、自分が我慢すればいい」となってしまう。
さらに年齢が上がれば上がるほど、周囲からの助言や苦言も得られにくく、気づけば「クライアントが去っていった」という悪循環にも陥りやすい。
ではどうするか。特効薬的な解決策はないものの、とにかく打席に立ち、ボールが当たるまで本気でバットを振り続けるしかない。関わる人、出逢いを増やし、新しい状況に身を置いてみる。「がんばらざるをえない」状況に自分を追い込むことも大事なのでは、と思います。
請負だけでなく、自分発信のメディアを持つべき
とはいえ、「言うは易し、行うは難し」です。というわけで、私事ながら、昨年からスタートした我が家の「50歳フリーランス限界説」への挑戦について書いてみます。
チャレンジャーは私の妻、フリーライターの大沢玲子です。
彼女は出版社勤務を経て、35歳で独立。専門分野を持ったほうがいいという助言に沿って、マネー分野に特化。そのおかげで、投資、経済、税務などのフィールドで、継続的に仕事はもらっていたものの、年間売上1000万円の大台が見えた30歳後半の全盛期からすると、明らかに仕事量や売上は3分の2程度に減少していました。
理由としては、先に挙げたように「取引先が少ない」「年齢とともに、こなせる仕事量に限界が出てきた」「自分1人なので、がんばりがきかない」。
さらに、広告系の請負仕事オンリーの状態で、やや疲弊気味。モチベーションが下がっているのも事実でした。
何度も「請負だけでなく、自分発信のメディアを持つべき」と言ってきたのですが、まさに「目の前の仕事に追われている」状態で、夫婦間ということもありなかなか耳を貸しません。
2年前にライフワークのような形で、出版社から刊行していたご当地本のシリーズが終わったのを機に、これはもう無理やりでも、新しいことを始めるしかない。
そこで私が発案者となり、彼女の尻を叩く形で始めたのが、“旅行以上、移住未満”の地方の楽しみ方を提唱する『たび活×住み活』シリーズです。
これまでのシリーズ本と違うのは、企画の内容だけでなく「書くから売るまで自分(自社)でやること」。
出版社で出せば、流通や営業・宣伝などの面で、スケールメリットが得られますが、その分、取り上げるエリアや書く内容の制約(良いにつけ、悪いにつけ)が生まれます。
SNS、Amazonなどの新たな販売ルートの活用が可能な時代に
また、当然ながら書き手としての利益を得るには、相応の部数を売ることが肝要となります。しかし、“県民ルール本”の舞台が“まとめサイト”などに移行し、売れ行きが鈍ったように、リアルな書籍の販売部数が落ちているなか、芸能人の本やよっぽどの話題作でもなければ、かつてのようなベストセラーを生み出すことが困難な時代へと突入しています。
その点、自分(自社)ですべてをやれば、手間はかかっても、やりたいこと(書きたいこと)を誰に遠慮することなく追求し、損益分岐点も下がります。
手間がかかるとはいっても、これまで書籍といえば、取次を通して販売するしかなかったのが、SNS、Amazonなどの新たな販売ルートの活用が可能。少ない部数でも、対応してくれる印刷所もあり、調べていくと、取次を通さず、直取引で書店に配本する代行事業があることも判明しました。
とりあえず、個人でも全国の読者に本を届けるインフラがあることはわかりました。
では、実際にどう進めていったのか。実務面、さらにその後の推移について、リアルな視点で経験談を書いていきたいと思います。